筋ジストロフィーの息子と共に生きる父のブログ 第13話
3年保育で入所したふーくんも、年長組になった。
そんな頃にママちゃんが
「2人目って どう考えてる?」
たぶん お互いになんとなくは考えてた事。
反応を見るように恐る恐る聞かれた。
「んー…欲しいけど 今はまだ3人でいいかなって思ってる。」
ふー君が生まれた出産の時の事、筋ジストロフィーと言う病気と出会ったことが頭には 当然ずっとある。
出産の時の事(筋ジストロフィーな息子④)を思い出すと今でも 怖い。
ママちゃんは記憶がないって言ってるけど、俺は鮮明に思い出せる。
幸せ絶頂からママちゃんもふー君も失いそうになったあの怖さは中々 忘れることは出来ない。
それと筋ジストロフィーと言う病気。
まだ治療法も何もない。
もし同じ病気で生まれてきたら…
自分達が欲しいってだけで授かっていいんだろうか…
そうなった時に しっかり家族を支える事ができるんだろうか…
そんな事を考えて何年も経ってしまった。
遺伝子診断(ウィキペディアより)もしたけど、結果は グレー判定だったまま。
この時も わざわざ調べ直す事もないと思ってた。
生まれてくる子供が健常であっても障がいが あっても 当然愛情は変わらない自信もある。
でも踏み出せないまま時間が過ぎてきた。
ゆっくりと自分の気持ちをママちゃんに伝えた。
ママちゃんはというと、Daddyよりも断然多く、保育所に送り迎えをしていたママちゃん。
保育所のママたちとも交流があり、保育所での兄弟関係も目にする機会がたくさんあった。
安易に考えるわけではなかったけれど、ふーくんに兄弟を作ってあげたい。
という気持ちだったらしい。
自分はグレーゾーンなのも理解していたつもり。
でも、ふーくんに出逢って筋ジストロフィーという病気を胸を張って受け入れるために
たくさんの事を考えて、自分なりに行動してきた。
一度の人生、この筋ジストロフィーという病気に出会った人生を、
前向きに生きていくためにも新しい命を授かる勇気を持ってもいいんじゃないか。
でもそれは、生まれてくる子どもの気持ちは考えず、自分本位の身勝手な考えだということ…。
絞り出すように話すママちゃん。
でも、今だってこんなに笑えてる。
大変なこともあるけれど、楽しいことも もっとたくさんある。
そんなことをグルグルと考えて、Daddyに
「2人目って どう考えてる?」
という質問に至ったらしい。
ふー君が生まれた時、出産の時の話や病気の事を報告した当時勤めていた会社の社長に
「そうか!じゃあもう1人子供つくれ!」
と言われた事を思い出す。
その当時は何言ってんの?
って 呆気に取られたけど この何年か あれはどういう意味だったんだろう…って何度も考えてた。
少しずつ 正解かはわからないけど 二人目の事を考えてた時期でもあった。
先の事を考えるのも大切だけど、今も大事。
悲しい事も あるけど 楽しい事もたくさんある。
いつかは治ると信じてるなら 1人より2人 家族が多い方が楽しいのかな。
病気に負けたくないと思ってるのに、2人目を考えないって事は 負けてんのかな?とか考えた。
そう考えると 負けたくない もし同じ病気で生まれてきてくれても 必ず治る。
必ず笑っててやる。
負けねーぞ!全部受け止めてやる!
そう思えるようになった。
結果、二人とも同じ病気でも大丈夫。
遺伝子診断もしない。
もし新しい命を授かれたなら大切に育てよう!
覚悟を決めて夫婦仲良く生活を送る。
それから しばらくして 新しい命を授かる事ができた。
男児に多く発症すると言われているデュシェンヌ型筋ジストロフィー。
覚悟は決めたが、不安が全くなかったといえばウソになる。
生まれてきてくれるまで、性別は聞かないことにした(笑)。
今時(もう13年も前だけど)性別を聞かないことが少ないのかな(笑)
なんと、ある日の超音波検査で 『男の子だね~』 と言われたらしい。
「先生…。性別は生まれてくるまで秘密にしてって言ってたんですが……。」
「あ………。ほんとだ。カルテに書いてる。………。ごめんね………。」
そのドクターも、Daddy家族の不安な気持ちはもちろん知らないから仕方ないよね。
授かった命を、大切に育てると決めたんだから大丈夫………大丈夫 大丈夫。
どんどん大きくなっていくママちゃんのお腹、
幸い体調も良く臨月までパートにも行っていたし気も紛れていたようだ。
まぁDaddyの稼ぎが悪いんで…泣
Daddyの母親も、ママちゃんの両親も、お姉さん夫婦も、新しい命を授かったことをとても喜んでくれた。
Daddy達のすること、心配だっただろうな。
自分たちがもし親の立場なら、なんて言ったかな。
いつも、Daddy達の考えを尊重して口出しをせずサポートをしてくれる両親達。
本当にありがとう。
年長さんになってしばらくした頃 保育所の所長先生に、
小学校は地域の学校に行くのかな。
それなら前もって小学校に話に行っておいた方が良いと思うの。
話に行く前に、保育所から連絡をとることも出来るから必要なら言ってね。
と声をかけてもらえたのだ。
ママちゃんは、ありがとうございます。
いつもお世話になってるのに、そんなところまで気にかけて頂いて。
すると所長先生は
「お母さん。絶対、家族だけで抱え込んだらダメよ。」
「子どもは、親だけじゃない。地域で育てるものだから。」
「親だけで育てようと思わなくていいからね。」
ママちゃんは、その所長先生の言葉に涙ぽろぽろだったそうだ。
その言葉をもらってから、周りの人、地域の人たちに素直に助けを求めることが出来るようになった気がする。
「よろしくお願いします。」
所長先生は、にっこり笑ってくださった。
”子どもは地域で育てるもの”
良い言葉だなあ。
こんな考えがもっともっと広まれば素敵なのに。
少ししてから、保育所から小学校に連絡をとってもらい、ママちゃんとDaddyと二人で校長先生に挨拶に行くことになった。
時期は10月の下旬くらいだったと思う。
小学校の運動会も終わって少し落ち着いている時期を狙った気がする。
校長室に入らせてもらい、教頭先生もいた。
校長室に入るのは 悪い事をして呼ばれた以外に来たことがない(笑)
すこし緊張した。
まず、病名、そして今現在どこまで動けるのか、介助がどこまで必要なのか。
地域の ふー君が通えるこの小学校で、受け入れてもらえるのか。
ふーくんが通うことになるこの小学校は、2階から児童が使う教室の振り分けになっていて
もちろん、エレベーターもない。
歩けるけれど階段は、時間もかかり他の子どもたちが一斉に階段を使うことになれば 当然危険度もあがる。
そういった点も考えると、常に誰かが側にいなけばならないという学校側の判断。
できるだけ、みんなと同じように経験させてあげたい。
という思いは強く持っていたがやはりひとりでの学校生活は無理だよな…と思えてきた。
公立の小学校で、児童1人に誰かついてもらうことなんてできるのかな。
話しながらそんなこと考えていると、
「支援学級に籍を置くことは考えてますか?」
気を使いながら、校長先生がたずねてくれた。
「もし支援学級に籍を置いてもらえるなら、来年の4月に職員の増員を申請できます。」
「そうしてもらえると、学校としてもできるだけ万全の状態で迎える準備ができると思います。」
「あとの細かいことは入学してからでも大丈夫。教室で授業だって受けてもらえます。」
Daddyもママちゃんも、それを聞いて
「なるほど!じゃあ支援学級に 籍をおきます!」
と、即答した。
どんな形であれ 受け入れてくれた事が嬉しかった。
あんまり深く考えてないのかも(笑)
自分たちの小学校時代とは、全く違う支援学級というクラス。
自分たちの時代は、支援学級の友達とはあまり会うことなかった。
歴代のハンディキャップをもった先輩方、親御さんたち、周囲のたくさんの人たちが苦しい思い、辛い思いや壁を乗り越えて、今のこの環境があるんだと思った。
次は、ふーくん達世代の番だね。
次のハンディキャップをもった後輩たちが少しでも生活しやすいように、もっともっと頑張ろう。
車椅子の子が不便なく通える小学校になるように
きっと受け入れてもらえたのも そういう方達が 行政や学校や地域の人達と 一生懸命に 道を作ってくれたからなんだなと思ったんだ。
次の同じ思いを持った親御さん達が安心できるようにって思った。
最後の年長さんの話と2人目ちゃんの話は また次回へ…
“第13話 保育園年長編1 筋ジストロフィーの息子と共に生きる父のブログ” への4件の返信
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