第38話 子どもの卒業式 筋疾患の難病 筋ジストロフィーの息子と共に生きる父のブログ

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筋ジストロフィーの息子と共に生きる父のブログ 12歳 第38回

小学校生活

色々あった6年生

卒業式を迎える。

本当に色々あった。

でもあっという間だった。

最後のイベント卒業式の話し合い。

毎回いつも相談してきたけど、これで最後。

校長先生から証書をもらうのに壇上に上がる。

この場合 階段になるんだけど、ふー君は当然 上がれない。

本当にお世話になったので、無理に壇上に上がらなくても構いませんと伝えた。

卒業式もみんなと同じようにさせてあげたいと先生方が考えてくれた。

先生方が考えついた答えはスロープを作ろうと言うことになった。

壇上までの高さは 結構あるので2段階で上がって行こうという物。

材料費や設置にかかる費用を僕達が払いますと申し出たけど、すぐ断られた。

学校での事は学校でなんとかします!との事。

何から何まで申し訳ない気持ちと嬉しいやら有難いやら 言葉が出なかった。

卒業式当日までは、進捗状況を連絡ノートで聞いていただけ。

どんな物が出来上がっているのか 楽しみだった。

卒業式当日

一張羅を着て 車椅子に乗り一足先に学校へ向かう。

家の玄関から行ってらっしゃいと見送る。

家から1人で学校に向かう事が当たり前だと思っていた。

何度も何度も学校にお願いに行った。

交渉の甲斐があって

少しの期間だけだったけど、させてあげる事ができた。

そんな事もあったな…としみじみしながら

少し遅れてママちゃんと学校へ向かう。

登校班に参加させて経験した悔しい気持ち。

何度も転んで傷だらけになった膝小僧。

優しく接してくれた上級生の女の子。

ずっと見守ってくれたボランティアの方。

たこ焼き屋のおばあさん。

暑い日も寒い日も雨の日も ずっと付いて行った。

ただの通学路に想い出がたくさんある。

6年間通った学校。

新しい生活はやっぱり不安。

このまま小学校のままでもいいのにな。

なんて思いながら校門前の警備員さんに挨拶をする。

「6年間ありがとうございました。」

「ありがとうございました。」

ママちゃんとお礼を伝える。

笑顔でおめでとうございますと返してくれた。

次はすけまるが入れ替わりで入学する。

改めてまた挨拶をしよう。

校門を入った所にある桜の木の下で撮った1年生の写真がなつかしい。

体育館へ

イベントの時に早朝、席取りをしたりする事があるけど僕は一切やらなかった。

この卒業式でもそうだった。

やっぱり座れた所は後ろの方。笑

卒業式っていう雰囲気は独特なもので、みんな不安と喜びとが入り混じっているのか

この優しい緊張感が好きだな。

まだ歩いていた1年生。

運動会はボロ負けだったな〜。

車に轢かれたりもあったし。笑

2年生で車椅子を使うようになった。

他の子達より進行が早いんじゃないかと不安だった。

歩いてる時は走るのが遅いのをバカにする人もいて腹が立ったな。

バレンタインに好きな女の子にチョコをもらえず、帰ってきてすぐシャワーを浴びたふー君。

お風呂からは

「ちくしょーーーー!」

と言う声が聞こえて大笑いした。

電動車椅子の練習もした。

車椅子で運動会に出た。

車椅子の我が子に向けられる視線が辛かった。

無理やり胸を張った。

でも車椅子を使うようになって楽になった気持ちもあった。

障がいがあるのがひと目でわかるから。

それを楽に感じてしまう自分がまた嫌になった。

歩けなくて可哀想、車椅子になって可哀想。

みんなにそう思われている気がした。

僕自身、そう思った事があった。

息子に出会うまでは そう思って生きてきた。

本当に無知で馬鹿な奴。

でも そうじゃなかった。

車椅子でも 障がいがあったって難病だって遠慮しなくていいんだ。

やりたい事はどんどんやっていいんだ。

この頃から いつの間にか ちゃんと胸を張れる様になった。

車椅子でも 楽しそうに学校に行く息子に教えてもらったんだな。

結局 自分自身が1番 気にしてたんだ。

保育所から小学校まで 自分がいるべき場所で一生懸命生きる息子を見て自分が変われた時だと思う。

友達と遊びに行ったり お祭りに行ったり。

家族でキャンプにも行ったし琵琶湖にも行ったし遊園地にも行った。

たくさん旅行も行った。

車椅子に乗って色々な所に行った。

運動会もふー君なりに参加できたし、なにより本当に楽しそうだった。

僕も家族みんなも楽しかった。

高学年になって林間に行って、修学旅行に行って

病気の告知もした。

あれは 辛かった。笑

好きな女の子に告白もした。笑

フラれてたけど。笑

普段からよく揉める犬猿の仲の友達に、

「お前は足も悪いけど力も弱い」

「このクラスの女子よりも力が弱い」

と言われて、

「魂のレベルはお前より上じゃ!」

と言い返して友達をポカンとさせた

笑って怒って、泣いて、また笑って

本当に色々な事があったし、毎回毎回 ひとつひとつ考えて悩んでの6年間だった。

それを応援してくれた先生方やリハビリの先生、親族、友達、みんなのおかげだと思う。

これから病気が進行して 出来ない事が また増えて行く。

中学や高校、先の進路はどうなるかわからないけど、もっと大変になるんだろうな。

でも同じ病気や他の難病の先輩達も乗り越えてきた。

だから僕達も絶対 できると思う。

卒業式が進んでる中、ずっとそんな事を考えていた。

ふー君の出番、壇上へ

担任の先生に名前を呼ばれ大きな声で返事をする。

2段階のスロープを登っていく。

白く塗られたスロープにはレッドカーペットが敷かれていた。

そのスロープを創ってくれたのは、2年生の時の担任の年配先生。

僕達は勝手に「匠」 と呼んでいた。

色々な所にスロープを作ってくれた匠先生。

静かな体育館に車椅子の音がかすかに聞こえる。

1段階登った所で 支援学級の担任先生がサポートに。

2段階目のスロープは勾配がキツく先生に押してもらい壇上へ。

本当にお世話になった先生。

最後はやっぱり2人でいい。

卒業証書をもらい振り返ったふー君は満面の笑みだった。

式が終わり拍手の中 退場していく。

在校生達がアーチを作り運動場へ。

おめでとう ふー君

6年間 よく頑張りました。

その後は校庭で写真撮影。

支援学級の先生は号泣していた。

周りの子どもたちがドン引きするぐらいに。笑

若い支援学級の先生。

初めて担任として受け持ったのが ふー君だった。

「ありがとうございました。」

「いえいえ!、こちらこそ」

「どうしても ふー君だけはちゃんとしたかったんです。」

「不安な時もあったと思いますが、先生の好きにして大丈夫です!って言ってもらえて、思いっきりできました。」

「本当に好きにさせてもらってありがとうございました。」

「勉強になりました。教師としても親としても。」

「こちらこそ 本当にお世話になりました。」

「僕達もたくさんの事を教えてもらました。」

「先生に受け持ってもらえて本当に良かったです。」

ニヤニヤと笑いながら先生を見ているふー君。

なんでも挑戦させてあげたいと一生懸命に考えてくれた。

校長先生と戦ってくれた。

学校以外でもリハビリに勉強に来てくれたり、スキーの打ち合わせに休みを返上してくれた。

バリアフリー展に足を運んでくれた。

本気で向き合ってくれて、真剣に怒ってもらった。

もっともっと、こんな先生が増えて欲しいと思った。

本当に素晴らしい先生。

何度も何度もお礼を言って ふー君の小学校生活が終わった。

色んな経験をさせてもらった。

本当にありがとう小学校。

かっこよくしてあげようと前日に散髪をしてあげた。

フライパンが乗りそうな綺麗な角刈りにしてしまい

すいませんでした~笑

中学校の始まりの話

春からは中学生。

地域の中学校に進むことにした。

中学校の支援学級の先生と入学前に打ち合わせした時に出た話。

車椅子のふー君の事を全校生徒に話したいと要望があった。

障がい者 教育の一端として当人や家族の手紙を書いて欲しいと言われた。

その頃の僕達はふー君の事を悲観もしていなかったし、可哀想とか同情して欲しい気持ちなんて欠片もなかった。

学校で 数回に分けて道徳の授業的な時間をとる。

狙いは支援学級に籍を置く子ども達を周りの子ども達が手助けしやすい環境をできるだけ作れるようにと。

支援学級の先生に

「職員から子ども達に説明するよりも親御さんからの手紙の方が子ども達により響くと経験上 考えてます。」

「始業式のあと、その時間を作るのでお手紙を書いてもらえませんか? 」

「え?」

とママちゃん。

「本人じゃダメですか?先生」

「本人でもかまいません。ふー君 書ける?」

「あ、書けますけど…」

こうして、ふー君が書くことになった。

入学前にさっそく課題を出されてしまった…入学前の話。

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