筋ジストロフィーの息子と共に生きる父のブログ 2021冬 第19話
排痰補助装置のお試し入院中に二酸化炭素が高く気管切開の話になった。
この入院では決行しない事を伝えた。
その話し合いの続き。
素人丸出しの質問ばかりだけど、誰かの参考になればと思います。
僕なりに質問したことを書きます。
いずれやる事になった時に心構えがいると思いますので色々教えて頂いた。
二酸化炭素が高い今のままの状態をもし続けたならば何が起きるのか。
・もしこのまま換気が十分にできないままだと、内臓に負担がかかる。
・二酸化炭素が溜まると心拍が高い状態になる。
・いつかはわからないが、脳梗塞や心筋梗塞、心不全を起こす。
気管切開をする決断をするには、やはりきっかけが必要だと思う。
次に起こりえるきっかけとは何が想定されるのか?
再度、気胸や肺炎を起こしたときなのか、二酸化炭素の数値なのか
・そのタイミングは今回だと思われる。
・排痰で苦しむ今がいいきっかけ。もうきっかけは来ている。
今回の提案の気管切開の術式はなんなのか?
ただの気管切開なのか、咽頭気管分離術なのか
・今回は気管切開。
・練習すれば食事も可能。
・今後、誤嚥をやはり繰り返すなら、その時は分離術を考える。
・分離術をした場合、完全に声が出なくなる。
・気管切開なら練習すれば声を出すことは出来る。
・気管切開をしても換気が十分にできるかは、やってみないとわからない。
・ただ今の呼吸器の圧よりは低い圧で過ごす事ができる。
気管切開の手術時間は?入院期間は?
・だいたい45分から1時間。
・入院は10日から2週間程度。
側弯が進み胃ろうを作れないかも知れないと言われたが今の段階で検査することはできないのか?
・今の段階では難しい。
気管切開を先延ばしにしている間に更に側弯が進み胃ろうが造れない事にはならないか?
・無いわけではないが、そこまで進むとは考えにくい。
仮に胃ろうが造れないとなった場合、栄養はどうやって摂るのか?
・その場合は鼻からチューブで栄養を摂る方法もある。
・胃ろうを作るならば、今の状態だと気管切開は必須。
・全身麻酔は今の状態では気管切開無しで臨むことは難しい。
あまり時間が無いと言うことだが、その期間はどれぐらいなのか?
一ヶ月、二か月の話なのか、半年、一年の話なのか?
・今すぐにでもした方がいいと言うのがカンファレンスの結果。
・肺が障害を受けていると、せっかく気管切開をしても意味がない。
・肺ができるだけいい状態のうちに気管切開を勧める。
気管切開をした場合、介助は何が変わるのか?
・数時間おきに吸引が必要になる。もちろん夜中も。
・個人差はある。2,3時間の人も ひと晩しなくていい人も。
・家族の負担は増える。
・2,3週間に一度の医師によるカニューレ交換が必要になる。
自宅のお風呂に入れるのか?
・基本的には無理。
・訪問入浴サービスを利用することになる。
・月に4回の入浴、あとは基本、清拭になる。
今後、治療法ができた時気管切開のカニューレを外すことができるのか?
・呼吸器を使用している状態で外せるようになるまでの治療法は今は無い。
医療が物凄く進歩して、凄い治療薬ができた場合、外せますか?
・そんな時が来るといいですね
と答えてくれた。
真横で黙って聞いていた ふー君が
「お父さん、ありがとう」
と言った。
どんな表情だったかはわからない。
そして、ヘルパーさんが質問。
「先生、ふー君は今年、成人式です。」
「体調が良ければ連れて行ってあげたいと思っていますがかまいませんか?」
「感染対策をしっかりしてなら大丈夫ですよ。ただ人込みなので本当に気を付けてください。」
成人式の日、ヘルパーさん数人がスケジュールを開けてくれている。
仕事ではなく、個人として。
気管切開の事や排痰の事に追われ、忘れていた”今の時間”。
20歳になり”今の時間”をしっかり大切にしようとしてくれたヘルパーさんに改めて感謝しなければならないと気付いた。
ちゃんと考えてくれる本当に素晴らしいヘルパーさんだ。
他にもできるだけサポートできるようにと色々質問をしてくれていた。
すごく淡々と質問して淡々と答えてくれた書き方になってますが
でも実際は丁寧に丁寧に言葉を選び、僕たちを気遣いながら答えて頂きました。
先生も辛い時間だったと思います。
でも真剣に向き合ってくれ、現実の話をしっかりとお答え頂いたこと
本当に感謝しています。
いつになるかはわからないけど、家族でしっかり考えて決断したいと思います。
話し合いが終わった後、病室に案内してもらい排痰補助装置の使い方を習う。
ベッドに移乗したふー君が
「お父さん、希望を持てる事 最後 聞いてくれてありがとう。」
「お父さんのそういうとこ、好きやわ」
「そうか、いつか外したる!ぐらいの気持ちで行かなあかんな」
「そうやな」
なかなか決めることが難しい話だった2021年冬の話。
来年は楽しい事 たくさんの年になりますように。