筋ジストロフィーの息子と共に生きる父のブログ 第11話
新しい場所に引越してきて 3人の新しい生活が始まった。
Daddyは新しい会社で ふー君は保育所 ママちゃんも引越しが落ち着いた頃には パートを探して働き始めた。
両親も遊びに来れる距離だったから よく遊びに来てくれていた。
会社も自転車で10分もかからない場所で何かあれば すぐに対応できるようになった。
といっても この頃は ママちゃんもあまり泣いたりもしなくなってた
共働きで働いて 仕事の事 保育所の事 みんなで帰ってから夕飯を食べながら ワイワイ話してた。
お姉さん夫婦と 高い宿ではないけど 旅行にもよく行ってた。
雑談になるけどふーくんが 生まれたころに、
小学校くらいまで 口の中に虫歯菌を入れないと 生涯虫歯にならない事をニュースで観た。
「これ、やってみよ!」
って事で早速取り入れてやってみる。
お箸はもちろん スプーンフォーク等 共用しない。
回し飲みはしない。
大皿盛りは お箸別にするなど じいちゃんばあちゃんにも 徹底してもらった。
じいちゃんばあちゃんは昔の人なので めんどくさいなぁって感じだったけど
危なそうなときは 注意してた(笑)
旅行に行ってたとき、知らないおばさんが 自分が飲んでたペットボトルのジュースを
「可愛いねぇ ぼく ジュース飲む?」
と言って飲まそうとしてた時は信じられなかった…
丁重にお断りしたけど(笑)
虫歯菌無し行動は小学校に上がるまで続けた。
その結果19歳になっても虫歯はゼロ。
定期検診はたまに行くけど やはり車椅子から診察台への移乗も大変だし 口を開け続けるのも大変だ。
なにより車椅子のまんま診てもらえる歯医者さんがあまり無くて……
虫歯菌無しで やってみて良かったと思う。
保育所は3年保育で入らせてもらった。 クラスは20人ぐらい。
4月入所組は2人、5月入所組は2人だった。
市役所の担当の人には 応募の時に足が悪い話はしたけど、直接 保育所には話していなかったようだ。
特に人見知りしないふー君は イヤイヤもなく保育所に馴染んでいった。
よく転んだりして生傷は絶えなかったけど、Daddyもママちゃんも精神的にも落ち着いていた時期だった。
定期的に 通院していた大学病院。
保育所に通いだしたころの通院のタイミングで、
保育所の先生に病気の事を伝えた方がいいのだろうか…
と優しい教授先生に相談した。
教授先生の答えは
まだ言わなくてもいいよ。
だった。
子どもは転ぶのは当たり前。
今その話をして、もし囲われた保育になると安心ではある。
けれど本来 経験するであろう機会をなくしてしまうかもしれない。
将来、車いす生活になった時
身体が動かなくなった時に、いろんな経験を積んできた事がこの子の糧になるはずだから。
みんなと同じように色んなことを経験させてあげたらいい。
産まれた病院の小児科のドクターには、車いすの生活になり寝たきりになる。
そして予後の話をされこの子にとって少しでも楽しい人生を過ごせるようにだけ考えたらいい。
と言われていたので 同じお医者さんでも こうも違うものなのかと思った。
Daddy家族は 当然治ると信じているし どっちを選ぶかと言えば もちろん大学の先生の意見だよね。
もうすでにそう育てていたし。
でも僕達と同じ意見の先生 しかも、専門家の先生がそう言ってくれたのは心強かった。
間違ってなかったと自信にもなった。
この考え方には賛否両論あると思う。
Daddyの家が正しいのかどうか 分からないけど Daddy家は こちらの選択をすることにした。
ふー君の保育所は 公立の保育所で、どちらか言えば 運動重視の保育所だった。
真冬でも裸足だし とにかく身体を動かそうと言う方針。
お迎えに行くと 一人でいる事もあって、ついていけないのかなぁ…とか心配してた。
ママちゃんも少しずつママ友もできていって新しい場所に慣れてきてた。
よく転ぶのか 膝はいつも怪我してたけど、
頑張って立ち上がって遊具で遊んだりするその姿を見ると頑張らないとなぁ…と思った。
毎日擦りむいていた傷だらけの膝は 大好きだったな。
保育所から近くの公園にプチ遠足に行ったり友達とクッキングをしたり ふー君も楽しそう。
遠足もやっぱり心配だった。
転んでも痛くないように その日は長ズボン履かせたり軽い靴を探したり、
リュックサックも できるだけ軽い物を探して使う。
キャラクターの靴やリュックサックは 重いんだよねぇ……たかが数グラムだろうけど
ふー君が遠足の時は 定時に帰って その日の事を聞いたりしてた。
楽しそうに話すふー君をママちゃんと2人でニコニコして見てたけど、複雑な気持ちも毎回あった。
性格上 のんびりしてるのが原因なのか 足が悪いと思われてるのか 常に先生にマークされてる感じだった。(笑)
秋には運動会もあった。この頃の運動会はいつも不安だったなぁ。
でも お姉さん夫婦が応援に来てくれてたし、おじいちゃんやおばあちゃんも来てくれてた。
おじいちゃんやおばあちゃんは どこの家庭も来てたと思うけど
Daddy夫婦にとって お姉さん夫婦がいてくれるのは凄く心強かった。
ふー君の出番が近づくと どうしても不安になるし。
ふー君に声をかける。
ビリでもなんでもいい 最後まで一生懸命やろう。
諦めちゃだめ。
最後までな。
ふー君にいつも言ってた言葉。
自分自身にも言い聞かせてた言葉。
短い距離の徒競走だけど あっという間に差がつく。
その時 誰よりも大きな声で
「頑張れぇ!ふー君」
お姉さん夫婦が応援してくれた。
お姉さん夫婦が応援してくれてるのに 俺は何してんだと 我に返る。
「がんばれぇ!」
結構 恥ずかしかったけど応援する事ができた。
本当にお姉さん夫婦には感謝だ。
今までの自分では絶対にやらなかった事だ。
少しずつだけど 自分も変わったような気がする。
今までは 適当に生きてきたけど、ひとつひとつ ちゃんと考えるようになった。
ふー君と出会って 当たり前が当たり前では無い事を教えてもらった。
毎日感謝できるようになった。
色々な事を教え 気づかせてくれた。
普通でいいって言われたけど 普通ってどういう事なんだろう
難しいよね。
その答えは今もわからない。
残りは ダンスと 障害物競走。
ダンスも一生懸命頑張る ふー君。
他の子に負けたくない気持ちで
京都の清水寺で買った大きく背中に
”1番”
て書いてあるTシャツ。
外国の観光客の人が喜びそうなTシャツ。
それを着て楽しそうにゆっくり障害物をクリアして行った。
その姿を見ると 明日からも頑張ろう 一生懸命生きようと思える。
ビリであろうが、俺たちにとっては
”1番”
なのだ。
ふー君にも感謝だ。
お昼過ぎに終わる運動会 その後は みんなで家に帰って パーティをするのが 恒例になった。
そしてDaddyとママちゃんはグッタリになる。