第10話 父の転職 筋ジストロフィーの息子と共に生きる父のブログ

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筋ジストロフィーの息子と共に生きる父のブログ 第10話

転職

遺伝子診断をした頃 転職を考えてた。

その頃は朝6時過ぎに仕事に出て帰りは0時近くになっていた。

現場作業だったけど好きな仕事。

休みは日曜日だけの頃だった。

家の事はママちゃんに任せっきり。

ママちゃんが泣いてた事も理解してたつもりだったけど お姉さん夫婦や両親、友達が支えてくれたりしてた。

周りの人みんなのおかげだったんだな。

今思えば ゆっくり話しもできてなかったのかもな・・・

ふー君が生まれて 病気の事があって、ご近所さんの事もあった。

遺伝子診断もする事にしてたし この2年間は 結構 沈んでた時期。

世の中の景気に左右され収入は悪いときもあったし もちろんウハウハの時も。

個人事業主になるので言い訳はできない。

不安定な職人の仕事と 公務員までは行かないけどサラリーマンの方がいいんじゃないか・・

また忙しくなれば家族と向き合う時間も作れないし 決まった時間、曜日に時間が作れる会社勤め。

その方が支える時間もできるし 家族にとっていいんじゃないかと思うようになった。

迷う仕事

ママちゃんも 景気が悪い時に苦しい家計を助けるためにパートを探してくれた。

嫌な顔 ひとつもせず 働きに出てくれた。

Daddyは 自分がやりたい仕事をやるべきなのか サラリーマンをやるのか グダグダ考える毎日。

ママちゃんが働きに出る前に 共働きになるので ふー君は無認可の保育所に入ることに。

色々な選択をするときに収入は二人の方がいいよねとママちゃんが言ってくれた。

仕事が空いている時には 保育所に送迎したり 炊事洗濯やできる家事をする。

家事をやるようになると やっぱり大変さがよくわかる。

いつもこうやって 家の事をしてくれてたんだなぁと改めて知った。

新しい環境のママちゃんは 当然疲れて帰ってくるし ふー君も新しい環境で頑張っている。

色々考え夫婦でもたくさん話し合った。

空いている時間に職業安定所を覗いて求人を眺める。

やはり職人の求人をみてしまう自分がいた。

なにやってんだろ・・・俺

自分自身を責めながら 新しい事に頑張ってる2人を見てるのが 辛い。

派遣に登録して夕方から深夜のバイトを始めた事もあった。

その時の自分たち家族には いい時間帯。

3か月ぐらいバイトしてたかな

職人の仕事がウハウハの時は親方と呼ばれ育てた奴もいた。

長く続かない奴もたくさんいたけど すごい奴もたくさんいたな。

悪い時もあったけど、楽しい思い出がたくさんだった。

結婚してから住んでいた所は、2人の実家からは離れていたので実家の近くに帰ったほうが
いいんじゃないかと考えてた。 

Daddyの母親もひとりで住んでいたし その方がいいんじゃないかってことでお互いの実家の市へ戻ることにする。

戻る市の保育所に入所申し込みの手続きをしなければ…。

来年の4月から3年保育で入所できるように準備を進める。

ふーくんは2歳。

当時、通っていた保育所は雑居ビルの2階。

その頃のふーくんは、階段は登れるけど やはりゆっくりだし保育所の先生たちも なにか感じてたと思う。

こちらもそこは何も言わずに黙ってたし、先生たちも その事には触れずにうまくやってくれた。

ふー君1人で見てると何も感じないけど 同じ年頃の子に混ざると やはり動きが違うのがよくわかる。

ただ単に保育所の送り迎えするだけでも それは感じたし 送り迎えをしてなかったら 分からない事だった。

ママちゃんから話を聞くのと 実際見るのとでは やはり全然違うと思う。

その経験もあって 保育所の希望は、激戦区の公立の1箇所のみ。

第1、第2、第3希望 すべて同じ公立保育所を書いた。

理由は、階段がなく 平屋の保育所だったからだ。

ママちゃん怒る

選考の時期になって市の担当からママちゃんの職場に電話があった。

「保育所の希望なんですけど、すべて同じ保育所になってますが?」

「これでは入園できる確率は下がってしまいます。」

「他の保育所は希望ないですか?ほかに言い忘れていることとか無いですか?」

「少し足が悪いので平屋の保育所を希望してます。なんとかお願いします」

「足がわるいんですか?それだと障がい児での申し込みが必要になります。」

「障がい児枠だと来年の申し込みになってしまいますが。」

「障がいがあるとだめってことですか?!」

ママちゃんは 切れてしまう。

「いえ そうではなくて そういう事情がおありなら このままだと健常のお子さんと競争になるんです。」

「特別な事情なら そちらの方が確率はあがります。それでもいいんですかという意味です。」

ちゃんと説明してくれる職員さん笑

その頃は普通にってのが 我が家のテーマになってたので 障がい児枠での 申し込みはしなかった。

まだ認めたくなかったし若気の至りってやつだ(笑)

クレーマーと思われたのか 職員さんがちゃんとしてくれたのか

偶然なのか わからないけど 希望の平屋の保育園に入所できることに。

電話してきてくれた職員さんには感謝しかない。

ちょうどそのタイミングでDaddyの仕事も 戻る市に決まる。

製造業のちゃんとした会社、高卒で数年間 勤務した事がある会社だ。

昔お世話になっていた先輩にお願いして話を通してもらった。

職人の仕事はやっぱりしたかったけど、何かを作る仕事がしたかったので良かったと思う。

良い時もたくさんあって悪い時もあった職人の仕事。

キャラの濃い職人やどうしようもない職人、部下を育てる難しさ。

理不尽な事もたくさん。

本当に色々な事があったけど人として色々な事を学んだ。

そして正式に辞めてサラリーマンに。

いろんな想いがあるけど、Daddyにとっても家族にとっても良かったと思えるように頑張ろう。

引っ越し先は、ご近所トラブルの教訓をいかして1階をGETした。

なんと庭付きである(笑)

保育所は5月からの入所だったので5月入所に合わせ引越し準備を進め、

Daddyは新しい職場、ふー君も新しい保育園に ママちゃんも新しいパート先で 

環境を作って行くことになった。

色々な事があったけど 当時住んでた場所は大好きな場所だったから 寂しかったな。

結婚して2人で生活を始めた場所

ふー君が生まれて3人で笑った場所

ケラケラ笑うふー君を見て 泣いた場所

3人で歩いてると よく声をかけてくれたおじいさんとおばあさん

ママ友達もできてたし 引っ越すとまた 近所付き合いも ママ友達も 全部また1からになる。

色々な事があったけど 大切な場所だと思う。

たまに今でも どうなってるか ドライブがてら見に行く時もあります。

これがふー君 2歳から3歳ぐらいの話

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