筋ジストロフィーの息子と共に生きる父のブログ 第20話
少し驚いた車に踏まれる事件があったが、通院も終わった。
3回程度の通院で異常なし。
思えば保育園の頃も大人の腰下ぐらいの花壇の端を歩いて落っこちた事がある。
頭から落ちて 地球に頭突きして頭蓋骨骨折した。
ママちゃんから電話をもらって 仕事終わりに病院へ行く。
駆けつけたら 病室でケロっとして遊んでた。
「地球に頭突きしたらあかんな〜」
と声を掛けたら
「めっちゃ硬かったわ〜地球めっちゃ強いわ〜」
なんて言って1泊検査入院してたな(笑)
放課後は相変わらず友達と遊んだり 家に友達を呼んで遊んだり 友達の家に行ったり。
少しずつ病気は進行してる様子で 立ち上がるのに更に時間がかかるようになってもいた。
友達も慣れてきたのか、後ろから抱きあげて立たしてくれるシーンもよくあったそうだ。
その年のクリスマスプレゼントは自転車にする事に。
ふー君は違う物が欲しかったみたいだけど 半ば強制的に自転車に決定。(笑)
トーマスの自転車より ワンサイズ大きい自転車。
店員さんは もっと大きい方がいいとアドバイスをくれてたけど、選ばなかった。
アルミ製の自転車を買った。
デザインも悪くない。
そして 何より軽い!。
これなら もうしばらくは自転車に乗れるだろうと勝手な親の想いがたっぷり。(笑)
プレゼントを見たふー君は少し微妙な顔をしてたけど、嬉しそうに乗ってくれた。
寒い季節でも 元気よく遊んできた話を楽しく聞いてたな。
色々あった1年生の生活も終わり いよいよ2年生になった。
クラス替えで担任の先生も変わった。
支援学級の担任の先生は引き続きそのまま。
担任の先生は 少し大人しい感じの女の先生だ。
支援学級の担任の先生も女の先生。
この先生は 元気よくハキハキと明るい感じだった。
2年生になっても スタンスは変わらない。
できる事は自分で
何か困ったときは
手伝ってください
なにかしてもらったら
ありがとう
1年生では ちゃんとできてたらしい。
先生や友達にも ありがとうの言葉を使っているのも よく聞いていた。
支援学級の担任の先生から ひとつの提案が。
先生と家庭との連絡ノートをしましょうと。
幼稚園や保育園で先生とやり取りするような連絡ノートだ。
学校の様子も知れるし、家庭での様子も知ってもらえる。
もちろん快諾。
ふー君は 相変わらずのマイペース。
心配な事はたくさんあったけど 友達もできたみたい。
だいたい学年の始めにある遠足がある。
細かい事は 連絡ノートで やりとりをして参加する事ができた。
放課後も新しい友達と自転車で公園に行ったり家に行ったり相変わらずのふー君。
支援学級の先生は 凄く親身になってくれる先生。
担任の先生が大人しい感じでいつまでもクラスがザワザワしてる様子。
1年生の時のように さりげなくフォローしてくれるシーンも無くなっていたようだ。
色んな先生がいるんだから それも仕方ない。
学校には学校のやり方があるだろうし特に気にもしていなかった。
でも先輩である支援学級の先生から見ると担任の先生のふーくんに対する接し方が不足に感じたようだ。
支援学級の先生から ふー君の事を担任の先生に親御さんから 説明したほうがいいと言われる。
支援学級の先生から見ると 心配で仕方が無かったんだと思う。
ハキハキとした先生からすれば 大人しい先生が頼りなく見えて見ていられなかった感じ。
7月の夏休み前になればクラスもそろそろ落ち着いて来る頃なのに一向に落ち着く様子がなく、その為、クラスの一員のふーくんを引っ張りあげるどころではない…と。
こっちから言わないと気づいてもらえない…と。
それは、私(支援級の担任)から言うのでは意味がなく親御さんからの方が良い
と言うことだ。
校長先生と担任の先生、支援学級の先生、そしてDaddyとママちゃんと話し合いをする席を作ってくれた。
担任の先生にふー君の病気の事 生活の中で気をつけていることを話す。
特別扱いして欲しいわけではなかった。
ただ知っておいて欲しいだけ。
悪いことすれば、当然怒って欲しかったし、普通に接して欲しかった。
ただ こういう病気という説明をする。
ああして欲しいとかこうして欲しいなんて事は言っていない(笑)
まぁ反応は いまいち?だったけど 色んな人がいるんだから それでいいと思う。
その場でクラスでの生活や 帰ってからの過ごし方を話した。
本人不在での懇談のような雰囲気だった。
その時に支援学級の先生から
「そういえば、この間 放課後 学校の園庭開放にふー君がいて、先生ー!って声をかけてくれたんです」
「友達と一緒だったんですけど 自転車に乗っててビックリしました!」
「怪我でもしたらどうするんですか?!」
「学校では凄く怪我には気をつけてるんですけど、まさか自転車でウロウロしてるなんて…」
と言われ、驚いてしまった。
きっと病気の事を知って たくさん考えてくれたうえでの事なんだろう。
確かに怪我もしてはいけない、骨折なんてすると動かせなくなるのであっという間に筋肉が弱ってしまう。
まだ若いので ある程度元には 戻るんだけどね。
大学病院の先生にも骨折だけには気をつけるようにと言われていたもんな。
先生なりに 真剣にふー君と向き合ってくれたからこその言葉なんだろう。
素直に嬉しかった。
きっと この場も ふー君がクラスで困らないようにと 一生懸命考えて セッティングしてくれたんだろうな。
先生方の温かい気持ちに感謝したうえで 僕の考えを話した。
「先生ありがとうございます。真剣に考えてくれて本当にありがたいです」
「ふー君が生まれて病気を知ったとき、どう育てるか いっぱい考えました」
「治療法も無い病気で 驚いたけど可哀想だと思って育てるのは違うと思ったんです」
「必ず治ると思って接してます。いつか治療法ができると信じてます」
「大人になったら どんな形であれ社会に出れるように育てようと思いました」
「だから友達と喧嘩したり笑ったり遊んだり色んな事を経験して欲しい」
「先生に怒られたり立たされたり いい事も悪いことも全部です」
「いつか歩けなくなるなら、転んだら痛いことも 知ってて欲しい」
「身体や心の痛みを知ってる人になって欲しい」
「自転車で風が気持ちいいとか そんな事も覚えてて欲しいんです」
「進行する病気なら 余計に”今”できる事を、”今”しか経験できない事を頑張る」
「できる事は、自分で!です」
「僕らも心配です。でもこの子の人生にずっと付いて行く訳には行きません」
「いつか車椅子になっても 1人で出かけたり 友達や恋人もできるかも知れません」
「その時に困らないようにしてあげたい」
「この子には この子の世界があると思うんです。」
「もしそれで骨折したとしても その経験も大切にできるようにしたいと思ってます」
「骨折はもちろんダメなんですけど(笑)わがままなのはわかっています」
「この考えが正解なのかどうかもわかりません。ただ普通の事をさせてやりたいだけなんです。見守ってもらえませんか?」
思いのままに 気持ちを伝えてみた。
校長先生も他の先生も固まってしまった。
常識外れな事を言ってるのかな?
馬鹿な親が馬鹿な事を言ってるのかな?
しばらく沈黙の時間が流れる。
そして支援学級の先生が答えてくれた。
「そうだったんですね、そんな想いがあったんですね」
嬉しそうに微笑んでくれた。
校長先生は
「私も、少し前に公園で自転車に乗ってるふーくんを見たの。すごく楽しそうに友達と遊んでたから 声かけなかったんだけどね。それで良かったんやね」
と ホッとした様子で微笑んでくれた。
「じゃあ応援しますよ!色々な事を経験させてあげよう!ご両親がそういう想いならバリバリやりましょう!」
思えばこの話し合いで 学校との距離が凄く縮まった気がする。
その時に支援学級の先生を見てママちゃんが気づいた。
「あれ…?先生…お腹…おめでたですか?」
「そうなんですよぉ〜」
「おおお!おめでとうございます!」
校長室でママちゃんと思わず拍手をして盛り上がった(笑)
支援学級の先生は どうしたら ふー君が自分でチャレンジできるようになるか いつも考えてくれるようになった。
担任の先生も 休みの日に 筋ジストロフィーの講演会があるから、一緒にどうですか?と遠い所まで来てくれたり理解してくれようとしてた。
それからしばらくして 支援学級の先生は産休に入った。
大きいお腹で 転んだふー君の手伝いをしてくれたり 怒ってくれたり 逆に心配だったな(笑)
産休に入る前に、クラスの一員として ふーくんのことをちゃんとしてくれようとしてたんだ。
次の若い男の先生にも しっかり引き継ぎをしてくれていた。
そして ママちゃんのお腹にも 赤ちゃんがいたのは また次の話で(笑)