第31話 筋ジストロフィーの息子と共に生きる父のブログ

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筋ジストロフィーの息子と共に生きる父のブログ 第31回

秋祭り

電動車椅子で友達とお祭りに行くことになった。

お祭りのある神社は砂利だし 地車も出る。

門限は9時に帰ってくる約束で送り出した。

ふー君は友達と、Daddyやママちゃんは すけまるやラブ子を連れて遅れてお祭りへ。

遠目から ふー君の様子見しながら祭りを楽しむ。

砂利で電動とは言え進みにくいのに、友達に置いて行かれたり嫌な思いをしないかなんて心配だった。

お祭りで小学生が行く時間帯。

人がどんどん増えてきた。

いつの間にか ふー君を見失ってしまった。

まぁ大丈夫だろうとチビたち2人とお祭りを楽しんでいた。

ポツリポツリ…と雨が

少しずつ強くなってきて、これはダメだな…と言うぐらい降り出した。

抱っこ紐のラブ子とすけまるにタオルをかけて濡れないようにして家に帰ることに。

見失ってた ふー君を見つけたけど、友達と濡れながらワイワイ話してた。

小学生なんて そんなもんだよね。

こういうのも いい思い出になるだろうと もう声はかけなかった。

ママちゃんは心配そうだったけど。

トイレの問題

車椅子生活になって 行動範囲が広くなったのはいいけど、困るのはトイレの問題。

特に親がいないとき。

いつもは100均で買ったボトルに尿をする。

車椅子の後ろのポケットに入れてるけど、自分では取れない。

友達に取ってもらったりもするけど、頼みにくい友達もいる。

こういうお祭りの時なんかは、物陰に隠れてボトルで用を足したり。

でも やはり時間もかかるし、何より友達に見られるのは 抵抗がある。

友達と遊ぶ長時間のお出かけの時はオムツを使うようになった。

本人はやはり抵抗がある。

僕らも ぶっちゃけ抵抗はある。

排尿や排便と言うデリケートな問題。

子供たちの世界で オムツをどう受け取るのかと考えると不安だった。

それならという事でオムツを使用する事に。

立位が取れない子供のトイレの問題は色々ある。

オムツも赤ちゃん用か、大人用。

微妙な年齢のふー君にバッチリなのは中々見当たらなかった。

大人用のSサイズのオムツ買って履く。

さらに 尿パッドを ふー君のイチモツに巻く。

何度か失敗したけど、これが1番良かった。

あとは、回数の問題も色々ある。

オムツも見えないように服で隠してあげる。

それでも 漏れる事もあって、少しずつ絞り出すテクニックを会得したらしい。

ゆっくり出すと あまり漏れないそうだ。

色々 思う所はあるけど、紙パンツがあって良かったと思う。

この日 みたいに雨降りだと もう漏れてるのか 濡れてるのか わからないし笑

車椅子で横転

あと、もう1つ 車椅子でウロウロしている時に車椅子ごと ひっくり返ったらしい。

歩道に上がる時に垂直に入る事が多い。

もしくは垂直でバックで歩道にあがる。

その時は斜めに入ったらしく、そのまま横転してしまったそう。

友達や近くにいた人達が助けてくれたそうで良かった。

慣れてきたとはいえ まだまだ気をつける事があると勉強。

お祭り自体は雨の中、クレープやくじ引き、フランクフルトや もろきゅうを買って食べたそうな。

びしょ濡れで帰ってきてママちゃんに怒られてたけど笑

次の日 風邪も引かず元気に登校することができた。

タグラグビー

学校の体育ではタグラグビーと言うスポーツをしていた。

ラグビーと似たようなものだけど、ボールを奪い合うのではなく、腰につけたタグを奪い合う。

ふー君も もちろん参加。

電動車椅子と生身の子供たちとラグビー。

どういう風にするんだろうと気になっていた。

さすがに電動車椅子でも 友達の腰につけたタグを取ることは難しい。

ぶつかれば かなり痛いし。

車椅子は手動で先生が押してくれる。

先生の腰につけたタグを取られるとだめ。

ボールは短い距離ならパスする事も出来たので友達が近くまで来て ふー君がパスをしたり、受け取ったり。

ちょうど授業参観の時にタグラグビーの授業だった。

できるだけ見に行っていたので、感心しながら見学させてもらっていた。

友達からボールを受け取りトライする所も見る事ができた。

実際どんな風に参加するんだろうとドキドキだったけど、先生方が知恵を絞り なんとか参加できるように配慮してくれていた。

この頃はもう、学校の事はほぼお任せ状態だった。

車椅子でも楽しそうに色々な事に挑戦するふー君に元気と勇気をいつももらってた。

先生としばらくお別れ

先生としばしの別れ

支援学級の担任の先生はS先生、そして普段よく接してくれるのはY先生。

S先生に色々配慮してもらい、時には学校と話し合ったり、いつも間に立ってくれていたS先生。

ふー君が

「先生、来年も担任やってくれるやんな」

「そうやなぁ、そうしたいなぁ」

いつも味方になってくださり、怒られる事もあったけど大好きなS先生。

少し家の事情で おやすみされる事があった。

その間 若いY先生とも 仲良くやっていた。

そんな話をよくしてた頃。

いつもやり取りしている連絡帳に先生から連絡があった。

「少し家の事情で長期に休む事になりそうです。ふー君とは 来年も と言う話をしたばかりですが、不都合のないようにして行きたいと思います。」

「後任の担任にはY先生を推薦しようと思います。若い先生でふー君とも いいコンビだとおもいます。ふー君には 少しずつ話して行こうと思いますので、よろしくお願いします。」

時期は11月頃、年内まで勤務し、3月末まで休暇を貰う事にされるそうだ。

本当に我が家の方針を理解してくださり、色々な事に なんとか挑戦できないかと 一生懸命になってくれた先生だった。

できるだけショックを受けないように 楽しい授業の前に少しずつ少しずつ話してくれた。

家に帰ってS先生の話をするふー君。ママちゃんが

「さみしい?」

と、聞いてみた。

「ずっと会われへん訳じゃないし、戻ってくる4月までにサッカーのドリブル練習して、びっくりさせるねん」

と本人なりに気持ちの整理をしているようだった。

S先生の気持ちを引き継いでくれた更に若くて勢いのあるY先生との生活の始まり。

Y先生は ふー君の病気の事をもっと知りたいと放課後リハビリにも来てくださり、授業の合間や体育の時間のストレッチ等に取り入れてくれた。

時間があれば、ドリブルの練習をするふー君。

あんなに大きいサッカーボールに乗り上げ 車椅子ごと 横転する事もあったらしい。

顔が砂まみれになり痛い思いをする事もあったようだ。

「もうやりたくない」

と言うこともあったけど、Y先生に励まされ また練習するようになった。

車椅子での怖い思い、痛い思い、歩いて転んだ時の痛み、自転車で転んだ時の痛み。

そして 言葉での心の痛みもある。

色んな痛みがあるけれど、痛みを知ることは 生きていく中で とても大事な事だと思うので、どんどん経験して欲しいと思う。

続く…

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