筋ジストロフィーの息子と共に生きる父のブログ 2021春 第2話
胸腔ドレナージをして胸の邪魔な空気を抜いた。
呼吸もかなり楽になったみたい。
また空気が溜まってもいけないのでドレナージのチューブはしばらく留置しておく。
チューブをつけたまま4,5日入院生活。
救急車で運ばれてから約2週間気胸の穴もほぼ見えなくなり、留置していたドレナージのチューブも抜いた。
傷跡が生々しいけど 頑張った証。
空気を送り込み、咳を助けて排痰しやすくするカフアシストは しばらく休止。
送り込んだ空気で また気胸になるかもしれないからだ。
そうなると痰は自力で出すか、吸引器で引っ張りあげるぐらい。
入院前に使っていたNPPV(人工呼吸器)の設定も見直す必要があった。
気胸の症状は落ち着いていたけど、spo2は安定していなかった。
呼吸器の設定と退院に向けてのリハビリを大学病院に転院して行う事になった。
大学病院と日程を調整したあと、転院の日を迎える。
自家用車で送迎する気まんまんだったけど、どうも救急車で運ぶらしい。
まだその頃のふー君は酸素を毎分2リットルぐらい投与していたので Daddyの家にある携帯型の酸素ボンベでは 心もとないとのことだった。
救急隊が病室までやってきてふー君を救急車まで運ぶ。
そして、サイレンを鳴らして大学病院まで。
救急車には、ふー君とママちゃんが同乗する。
Daddyは自家用車で少し早めに出発していた。
30分ぐらい早く出発。大学病院まで半分ぐらいの距離の高速道路上。
後ろからサイレンの音が聞こえる。
渋滞していた高速道路。
みんな道を開けてくれて、サイレンを鳴らした救急車が通り抜けていった。
あぁ…あの救急車にふー君が乗ってるんだなぁ…
当たり前の事なのかもしれないけど、道を開けてくれた沢山のドライバーさんにありがとうと思った。
もうこんな事がないようにと 小さくなっていく救急車を見ながら思ってた。
なかなかないよね、自分の家族が乗った救急車に追い抜かれるなんて笑
そんな事を考えながら 大学病院まで急いだけど 救急車到着してから 30分後だったらしい。
やっぱり早いね、救急車。
救急入り口の前に停まっている救急車。
ママちゃんとふー君の姿はない。
車で待っていると ママちゃんから連絡。
コロナ禍なので病室には入れないそうな。
仕方ない。
たくさんの荷物を抱え病棟に私物を届ける。
ふー君に会えると思ってたけど、まさか会えずじまいになるとは笑
それから約2週間 大学病院でリハビリと呼吸器の設定の見直しをした。
週末に着替えを運んだ時に2mの距離を開けて会話する事もできた。
看護師さんと楽しそうに病室から出てきたふー君。
看護師さんと色んな話をして楽しかったようだ。
大学病院で家でのケアをもう少し厚くしようと言うことで訪問看護ステーションを探してくれた。
この時からふー君 初めての訪問看護が始まる。
退院した日にお祝いで家族みんなでしゃぶしゃぶを食べにいった。
入院生活が楽しかったのか
「帰りたくないなぁ」
ってふー君が呟いたのをママちゃんが家で話した。
ずっと心配して、早く会いたいと言っていた妹が激怒していた。
1ヶ月ぶりに会う弟と妹に ひたすら謝るふー君だった。笑