筋ジストロフィーの息子と共に生きる父のブログ 第22話
いつの間にか 身長も大きくなってきたふー君。
使い過ぎず使わな過ぎず
で毎日過ごす。普段の生活は起き上がるのしんどくなってきていたけど、自分の足で移動する。
作業療法士さんと相談して机の高さ、椅子の高さ等 調整してもらったりもしてた。
調子の悪い時は 可哀想なぐらいに転ぶ日もあった。
「もうイヤや~」
と泣きだしてしまう日もあったぐらい。
ママちゃんと励ましたり、学校へ連絡帳でその時の様子を伝え、盛り上げてもらったり。
でも放課後は友達と遊んだりもしてた。
ある時 スポーツテストがあった。
立ち幅跳び、ソフトボール投げ、上体起こし、長座体前屈、反復横跳び、50m走、20mシャトルラン。
この種目を負担をかけすぎず参加する。
ソフトボール投げはボールが重くてほとんど飛ばなかったそうだ。
走るのは歩くよりは早かった!と本人のコメント。
それ以外は少し甘く判定してもらったけど 一応規定があるので 結果は0点だった。
家に帰ってから
「体力テストは、先生に手伝ってくれたやつは回数に入らへんねんて!だから0点やねん!そん時 ちょっと泣きそうになってん」
と、ママちゃんが声を掛けた。
「0点でも良いやん、やろうという気持ちが大事やろ。それが出来てるんやから ふー君は病気にも自分にも負けてないって事や」
「それって凄いことやねんで?」
とママちゃんが伝えていた。
ちょうど帰ってきたDaddyも着替えながら 話しを聞いて
「すごいかっこええやんけ〜」
と声を掛けた。すると
「なんかこの身体好きになってきたわ!」
と嬉しそうに笑っていたふー君だった。
ちょっとビックリしたけど、凄く嬉しい言葉だった。
スポーツテストのあとはプール学習、運動会と立て続けにスポーツイベントがある。
使い過ぎず使わな過ぎずのふー君は長時間になると支援学級に戻り 少し休憩したりマッサージしてもらったりしてた。
学校側からの提案で ふー君の事をクラスの友達に説明してもいいかと話しがあった。
支援学級で休憩したり 他の子と違う事をする事もあったので必要だと思った。
先生は
「同年代の人達に支えられ、その学年の子供達とは中学にいっても同じメンバー。だからふー君の事を知ってもらうのは いい事だ。」
と提案してくれた。話しをしている間 ふー君に支援学級にいようか?と聞いてくれた。ふー君は
「知ってもらうの嬉しいからクラスに帰るわ」
と意気揚々とクラスに帰っていった。
話の内容は担任の先生と支援学級の先生にお任せした。
ふー君は内容よりも自分の話をしているのが嬉しかったようだ。
話をしてから ふー君が転んでいたら 手伝ってくれる子が増えたり 先生を呼びに行ってくれたり。トイレに行くのに声を掛けてくれたり。
家に帰ってから ふー君は
「なんで先生も友達も俺の事 考えてくれるんやろーって思った。みんな机の横のカバンとか 直してくれて 歩きやすくなってん」
と教えてくれた。
「みんな優しいなぁ。そういう事さりげなくできる人っていいよなぁ」
と話してた。
「ふー君はふー君で何か嬉しい事してあげれたらいいね」
と声を掛けご飯を食べる。
「何しよっかなぁ」
とぼんやり呟いてた笑
そしてプール学習。夏休み前にも少しある。
ふー君は水が苦手である。特に頭からかかるのが苦手。
息ができないからか 苦手だった。
冷たい水に浸かるのも苦手だった。
冷たい水は心臓に良くないのか そこは気になったので 毎年 夏前に大学病院で確認していた。
今の段階では 心配する必要はない。
みんなと同じで ゆっくり慣らして水に入ればいいとの事。
特にプールは浮力がかかるので、筋ジストロフィーのリハビリには もってこい。
疲れ具合と相談にはなるけど、できるだけ参加させていただきますと話した。
幸い学校のプールには プールサイド ギリギリまで車椅子でも 行ける。
病気が進行したとしても プールサイドまで行けるやん!と 何故かノリノリだった。
プールは事故があっては いけないので 先生が2人も付いてくださった。
産休でお休みの先生の後任は 若い男の先生だった。
プールもお任せ。もう1人は時間が空いている男の先生が付いてくださった。
1人別メニューで 腕や脚に浮き輪を付けて プカプカ浮いて バタ足したり できるだけ身体を動かす事ができた。
暑い夏に 別メニューでも 友達と楽しめたようだ。
残りのスポーツイベントは運動会。
1年生までは なんとか参加できていたけど、2年生からは少し気合い入れて参加せねばと ママちゃんと話してた。
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